にんにくの日本伝来
日本には西暦4世紀頃、中国や朝鮮半島を通ってにんにくが伝わったとされています。
「日本書紀」によると西暦366年朝鮮の百済に使者を遣わし、翌年に百済が日本に帰服した記述があり、その頃朝鮮からにんにくが持ち込まれたと考えられています。その当時は香辛料や強壮剤として用いられていました。
西暦712年編さんの「古事記」にはヤマトタケルノミコトが悪神の化身、白鹿を蒜により打ち殺したという記載があります。「日本書紀」にも同様の記述があり、魔除けににんにくが用いられていたことがわかります。
平安時代になると丹波康依頼(たんばのやすより)により日本最古の医学書「医心方」(984年)が書かれました。中国医学を参考に日本に合った治療法を提示している初の日本医学書ともいえます。この中にもにんにくが脚気や風邪、虫さされなどの症状に対する処方に使われている記述があります。
「万葉集」にもにんにくのことが記されています。
「醤酢(ひしおす)に 蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて 鯛願う
我にな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの)」
鯛をにんにく入りの酢味噌だれでいただきましょうという内容です。
さらには「源氏物語」の中にもにんにくは登場します。
「雨夜の品定め」という章には、藤式部丞(しきぶのじょう)がお付き合いをしていた女性を訪ねた際に、「風邪がひどいのでにんにくを煎じて飲みました。口臭があるのでお会いできません」
といって会うのを断られたというくだりがあります。
平安時代には高級であるとはいえすでに薬としてだけでなく、食事の中に摂り入れられていたことがうかがえます。
にんにく~名前の変遷
にんにくは中国語では「蒜」といい大蒜、小蒜などと呼びます。それで日本に伝わった最初の頃には蒜(ひる)と呼ばれていました。
ところが仏教の国日本ではにんにくの滋養強壮作用が淫欲を増長される「不浄のもの」とされて、禅宗の僧侶は食べることを禁止されるようになりました。
そのようなことから、仏教用語の「忍辱」(にんじょく)が語源とされ「にんにく」と呼ばれるようになったという説があります。困難を耐える、恥ずかしめを忍ぶという意味合いがあります。
しかし、厳しい修行に耐えるためににんにくを食べた僧侶もいたようでそのにんにくは後に「行者にんにく」と呼ばれるようになりました。
また、江戸時代の儒学者貝原益軒(かいばらえきけん)による著書「日本釈名」によると、にんにくの語源として「にほいあしくてにくむべし」という記載があり、きつい臭いを耐え忍ぶという意味からにんにくとされているという説もあります。
いずれの理由であったにしても、「蒜(ひる)」にかわって「にんにく」と呼ばれるようになっていったのは室町時代頃からのようです。