時間が経つのは早いものでもう今年も残すところ1ヶ月を切った。この時期は毎年、仕事で関西出張があり、今日も新神戸駅に向けて新幹線に乗っている途中だ。
品川から新神戸はのぞみでたいだい約3時間程である。そんな時間のある新幹線の中で急に一つの疑問が湧いた。
「もしもにんにくが全く臭くない食材だったらどうなっていたのだろうか」
日本のにんにく好感度の比率
そう。前振りは何の関係もない。ただ、ふと思ってしまった。
にんにく王子を運営していく中で、世の中にはニンニクに対しては熱狂的なファンがいることは確信しており、熱狂的とは言わずとも「にんにくが好き」、「抵抗無く食べる」という層も多い。
その反面、「にんにくは苦手」だという人も確実に存在している事を認識している。私の感覚値だと、日本ではにんにくに対する好感度は、大好き1割、好き2割、普通5割、苦手2割くらいではないかと思う。
にんにくが苦手だという方に「なぜ苦手か?」と質問すると一番多く返ってくる回答が「にんにくの臭いが苦手」である。その他にも「食べるとお腹が痛くなる」や「独特の辛さが苦手」という回答もあるが、圧倒的に臭いに対する抵抗感が大きい。
では、もしにんにくが全く臭くない無臭な食べ物だったら日本中はにんにく好きの方が増えるのではないか。
※ここで定義する「臭くないニンニク」とは最近市場にも出回っている品種改良された無臭にんにく等ではなく、根本的に臭いの無いにんにくを指す。
臭いものを嗅ぎたくなる習性
結論から言うと私が考えるに、ニンニクが完全無臭になろうがにんにく好きの数は増えず消費量が増えることは無い。
理由は至ってシンプルで、臭さの失ったにんにくには魅力がないからだ。
犬が散歩中に電柱におしっこをする行為は単に尿意から来ている行動ではなく、マーキングと呼ばれる自分のニオイを付けて縄張りを示す行為の意味合いが強い。だから散歩中に犬は至るところでニオイを嗅いで確認している。
この様に動物はそもそもニオイを嗅ぐ・確認するという修正を持ち、人間も同様の習性を持つ。料理を食べる前に(マナー的にはよろしくないが)匂いを嗅いだり、確実に臭いと分かっているのに靴下や肌着のニオイを嗅いでしまった経験はないだろうか。
料理の味はニオイで決まる
単純に習性というだけではない。料理を味わう際に実は私達は舌と鼻、つまり味覚と嗅覚を使って判断している。
少し前にテレビ番組でやっていた実験だが、
ダシ汁を用意して、ゲストの芸人さんやら俳優さんやらが目隠しをされて鼻をつまんだ状態で飲むと全員口を揃えて「味がしない。ただのお湯です。」と答える。ところがつまんだ鼻を離すと「しっかりダシが効いてますね。美味しい!」と答える。
風邪を引いて鼻がつまっている時に料理を食べても全く味がしないのはそのためである。
つまり、料理において「匂い・香り」は非常に重要な要素であり、「無臭 = 無味」である。
事実、ニンニク好きな方に好きな理由を聞くと「にんにくの食欲そそる香ばしい匂い」を答える方が多い。では、食事中に香ばしい匂いだけを残して、食後の口臭をなんとか出来ればいいのではないか?
何かを得るということは何かを失う
ただ、これは難しい。本サイトでもよく紹介しているが、にんにくを食べた後の臭さの原因はアリシンと呼ばれる成分である。アリシンは食後の口臭の原因であると同時に調理時の食欲そそる香りでもあるのだ。
仮に上手くニンニクからアリシンを取り除けるとしても、それは結局にんにくから全ての臭いを取り除くことになる。そう、何かを得るということは何かを失う。等価交換の法則である。にんにくは唯一無二の香りを得ることで、爽やかな吐息を失う悪魔の契約を交わしてしまったのだ。
つまり、香り=臭いがニンニクという食材として一番の魅力でありこれを取り除くという事はニンニクの魅力を殺すということになるのである。あのニオイのしない無味無臭なニンニクなど誰が好き好んで食すであろうか。
だからニンニクを食べる人はニオイを気にすることはない。そう、私達はニンニクを食べているのではない。あのニオイを食べているのだから。
そんなことを考えている内に新幹線はあっという間に新幹線に到着したので、フリスクを2粒口に含みホームに降りる。